2006年度 < トピックス >
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| 大会ピンバッジをつけて プレーするミノザ |
選手たちは、優勝を狙うのはもちろん、同時に来シーズンの出場資格を得る賞金ランキング上位70名を目指して戦っている。
シーズンが終了すると、シード選手の入れ替わりがある。初めてのシードの仲間入りをした選手、また残念ながら失った選手。そこには様々な人間模様が描かれる。
フランキー・ミノザ選手。今年の12月で47歳を迎えるフィリピンの英雄だ。
彼は1990年にダンロップオープンで優勝し、アジアンサーキット(現在のアジアンツアーの前身)の総合優勝者として、以来2001年までの12年間賞金ランキングシード(以下賞金シード)を守り続けていた。
2004,2005年と賞金シードを奪取することができなかったが、今季はQTランキング1位者として、シーズンを戦い、¥20,279,437 を稼ぎ賞金ランキング53位として、来シーズンの賞金シードを手中に収めた。
1973年ツアー制以後の外国人選手が賞金シードを獲得した回数(現行の賞金ランキングシード)は、デービッド・イシイ選手とフランキー・ミノザ選手が13回で並んでいたが、今シーズン、最多となる14回目の賞金シードを獲得することになった。
――2年間賞金シードを取れず、QTランキングからの出場になりましたが、今年は何が良かったのですか。
ミノザ『昨年は、出場できる試合が限られていたので、体のケアとフィジカルトレーニングをした。その甲斐あってか、背中の痛みが随分良くなったと思う。結果、いいショットを打つことができるようになってきた。』
――しかし、47歳で賞金シード復活。高いモチベーションがないとなかなか戦えないですよね。確か、45歳で競技生活にピリオドを打ちたいとも言っていましたね。
ミノザ『実は一度、ギブアップした頃があった。妻に相談したら「いいよ。じゃ2週間、ずっと自宅にいてみたら!」と言われたんだ。言うとおりにしてみたよ。でも何をしたらいいかもわからないし、何もすることがなかった。Nothing to doだよ。自分からゴルフを取ったら、何も残っていなかった。妻に教えてもらった気がする。僕はプロゴルファーだということを! ゴルフがあって自分がある。そう思うと、自分の体を鍛えなおす気持ちができた。』
――ここまでアジアンツアーで12試合とジャパンゴルフツアーで18試合の出場。合計すると30試合の出場になりました。がんばりましたね。
ミノザ『体もゴルフの調子も良かった頃は、予選落ちすると次の試合で取り返すため必死だった。しかし今は、起こったことに対して、それを受け入れる心があるんだ。予選落ちしてもミスショットしてもボギーになっても・・・欲がないと言えば嘘になるけど、今までの自分とは少し考え方が変わったかな。歳を取ったということかな(笑)。』
――アジアンツアーと日本ツアーのトーナメントの違いは?
ミノザ『それぞれ環境が違うのだから違いなんてあって当たり前。僕がいかにそれに対応できるかだと思う。違いがあっていいんだよ。どちらもいい雰囲気だし、これだけ長くプレーした日本は好きだよ。』
――UBS日本ゴルフツアー選手権 宍戸ヒルズは、どういう印象をお持ちですか?
ミノザ『今年からUBSというグローバルな企業がサポートしてくれているよね。アジアンツアーでもサポートしてくれている企業だよ。この大会はグッドトーナメントの一つだと思うよ。選手に対しても配慮をしてもらってるし、賞金も上がったし、勝てば複数年シード権やWGCにも出場できるトーナメント。選手が勝ちたいトーナメントと思える大会だと思うな。コースセッティングに関しては、コメントしないよ。僕は与えられた環境で成績を残すことが重要だからね。』
――これからの夢は何ですか。
『Just Play! 僕はゴルフトーナメントでプレーし続けたい。今は、それ以外はないよ。』
ジャパンゴルフツアー(以下JGT)は、多くの若手が育ってきている。と、同時にそれは、何人かの選手がこの舞台を去っていくということ。彼も自分と同じ世代の人間が何人もトーナメントから去っていることを知っているし、彼に続いてJGTに参戦した外国人も母国のツアーに出場したり、または、ツアープロを引退している選手もいる。その中で、彼が奮起し体を鍛えなおしたことは、並大抵のことではない。フィリピンに家族を残し、単身赴任でビジネスホテルを宿泊地とし、いまもなお渡り歩いている。本当に頭が下がる思いである。
彼のプレースタイルは、とにかく顔の表情が変わらない。バーディやボギーを打ったとしても同じ表情、同じペースで淡々とプレーをしている。パッティングに関しては、既に90年代の後半から悩みが多かったようだが、それを消すことができる精度の高いアイアンショットを打つことができた。
しかし近年は、背中の痛みからショットにも精彩を欠いていたが、見事にカムバックしてきた。
冒頭にもお伝えしたが、彼は1990年のダンロップオープン(96年から01年まではキリンオープンとして開催)で優勝し、アジアの賞金王としてジャパンゴルフツアーに参戦を果たした。以来、T.ハミルトン、C.フランコ、B.ワッツ、崔 京周選手など数々の実力のある選手が、この資格で参戦し強くなっていった。しかし、アジアンツアーのどの選手に聞いても、フランキー・ミノザという選手は尊敬され目標とされている。
その裏づけの一つとして、01年まで開催されたキリンオープンでのことである。この大会はジャパンゴルフツアーとアジアンツアーの選手が半分ずつ出場できる国際色豊かな大会であった。ここで予選落ちしたアジアンツアー選手の数人は、ミノザの決勝ラウンドをギャラリーと同じ観戦エリアからついて歩いて勉強していた。
当時、彼らにこんな質問をしたことがある。「なぜ、わざわざ雨の日の決勝ラウンドにギャラリーと同じ様について行くの?」と。シンガポール出身のママット選手は、答えたものだ。『応援さ。でも本当の理由は、もっとうまくなりたい。僕たちの中でアジアのトップはミノザ。彼からいろんなことを勉強したいんだ!』と。
アジアと日本の架け橋的存在であるミノザ選手。
近年、プロスポーツ界において、日本からアメリカでプレーする選手が増えているが、当時のミノザ選手もアジアンツアーから日本に活躍の場を求めてやってきた。
「最初は不安だったよ。しかしサポートしてくれる人がいたからやってこれた。でも稼がないといけないのがこの世界だったから、本当に無我夢中だったな。」と、遠い目をした。
あと何年、彼のプレーを見ることができるかわからないが、彼の功績はすでに、母国フィリピンで高い評価を受けている。
いつか、引退の日はやって来るだろうがそのあとも、彼の日本でのサクセスストーリーは長く、母国フィリピンで語り継がれるはずだ。
しかし、いくつ勝利を重ねてもそうだったように、彼は奢ることなく、質素な生活を続けるのだろう。それがフランキー・ミノザという選手だ。
・・・14度目の賞金シード獲得、おめでとうございます。
近藤選手は、日本ゴルフツアー機構(以下JGTO)のクォリファイングトーナメント(以下QT)を2000年に受験し、第1位として2001年のシーズンから本格的にツアープロとして戦いの場をジャパンゴルフツアーにおいた。
世間の注目は、彼がいつ勝つかということに注がれた。
確かに、チャンスは幾度もあった。たとえば、2002年のマッチプレー。片山晋呉選手をはじめ、強豪を次々と倒して準優勝。 しかし、実は本人は、「どの選手にも、勝った気はしていなかった。勝ったけど負けたという感じだった」という。
戦ったすべての相手と自分との、スイングの精度の違いを痛感したからだ。
その年、約5,100万円を稼ぎ、賞金ランキングは18位。はたから見ると満足のいく数字を残したように思えるが、本人は決してそうではなかった。
「これじゃ、ダメだ・・・」。
そんな想いに突き動かされ、スイング改造に踏み切ったのだ。
プロに転向し7年をかけて、今年初優勝を掴むまでの長い道のりとその取り組みを、ブリヂストンオープンの練習日に聞いた。
――スイング改造のきっかけは、2002年のマッチプレー
近藤「それまでの僕は、スィングに関しても、ゴルフに関することは全て独学でやってきたし、スィングがどうとか気にも留めたことがなかったんです。でも、マッチプレーで勝ち上がるにつれて、自分は勢いや運だけでゴルフをやっているような気がして・・・。戦った相手の全選手と自分との精度の違いを痛感させられました」。
――それについては、誰かに相談したのですか?
近藤「以前から知り合いのコーチに相談しました。スイングのことについて、誰かに相談したのは、生まれて初めてでしたね」。
――どんなところが苦労しましたか?
近藤「一番苦労したのは、頭の中のイメージ。どうしてもピンの左を向いて打つイメージを描くことが出来なかったですね」
――2003年のシーズンに中日クラウンズで近藤選手の練習を見て思わず声をかけたことを覚えています。あの時点でも既にいいフェードボールが出ていましたね。
近藤「そうでしたね。僕は、ドローヒッターというわけではなかったのですが、ミスショットをした時にフックボールになる傾向があった。それをフェードボール一辺倒で攻めていく考えはなかったのですが、左に捻じれないボールを打つためのスィングを体に覚えこませていました。」
――スイング改造をしながら賞金を稼いでいくことは大変だったでしょう。
近藤「確かにそうなのですが、今後の事を考えると賞金よりもスィングの本当の完成。例えば頭に描く球筋のイメージと実際のそれとの一致を優先しようと思ったんです。」
――その様な中でも2003年賞金ランキング26位で、2004年へのシード権も取れた。
近藤「はい。目指していたスィングが試合の中で戦っていけることの手ごたえを感じ取ることができました。」
そんな地道な努力の甲斐あって、平均ストロークやパーオン率といった部門別の数値は飛躍的に向上していった。と、同時に何回か勝つチャンスもあった。デビュー当事の期待に反して時間はかかった方かもしれない。
しかし、いざ勝つときはフロックでもなく、またたまたま勝ったということでなく、入念な準備を重ねたことによって、"やる事をやったからこそ勝利を掴んだ"といえる状態まで近づいていたのだ。
そして迎えた2006年の今シーズン。満を持して彼は勝った。不思議なことに、若干ではあるが部門別の数値は落ちているにも関わらずだ。
その謎が解けたのが、ブリヂストンオープンの練習日だった。
近藤選手と話をしながら、袖ヶ浦カンツリークラブの14番ホールを迎えた。ここは464ヤードのパー4というホール。このホールのティショットに難しさといやらしさを感じている近藤選手は、ドライバーを持たなかった。その結果、セカンドショットは約220ヤードのアゲンストの風。彼は、ユーティリティアイアンで打った。結果はグリーンを右にはずした。
彼は、グリーンに歩きながらこんなことを言った。
「うん、ここはこの攻め方でいこう。」「ここはパーをセーブして流れを掴もう。」「よし、そういう意味でこのアプローチショットは本番だ!」結果はグッドアプローチでパーセーブ。
「パー取れたよー」と爽やかな表情で両手をあげる近藤選手。
これこそが、スイング改造の成果だった。それによって総合力が底上げされたために、ゴルフの幅が広がったのだ。
そして同時にそれは、終始冷静な判断でゲームマネジメントができる力が身についている、という証だった。
――初優勝どんな気持ちでしたか?
近藤「今まで、優勝したらこんな気持ちになるんだろうな。という自分なりのイメージがあった。しかし、実際に勝ってみるとうれしいという気持ちはなかった。やっとスタートラインに立てたという気持ちだった。周りの人達から、もうクリアできると言われ続けて、なかなか勝てなかったから。」
――なぜ、今まで勝つことができなかったのですか?
近藤「学生時代は、全ての試合に勝ちにいっていた。それこそ1番ホールからその想いで望んだ。しかし、プロに入っての目標は、1勝と賞金ランク10位以内。それはそれで問題なかった。でも今年はとにかく勝ちたかった。賞金ランク10位以内に入ることよりも・・・。"勝つんだ。"という失いかけていた強い気持ちを取り戻すことができたと思う。」
――ツアー後半戦の最初のANAオープンで2勝目。TVで見ている限り、展開の割には落ち着いていたように見えました。
近藤「あのコースはいいイメージがある。だから最初から2勝目を狙って勝ちにいった試合でした。そう、最初から自分を追い込めて勝てたこと。これが何よりもうれしかった。」
――近藤選手を見ていると誰がライバルというよりも、自分の好きなゴルフを一生懸命取り組むというイメージがありますがいかがですか。
近藤「僕は、本当にゴルフが大好きなんです。僕は、休みの日でも友人とゴルフしているくらいです。ゴルフが仕事とも思ったことはないんです。こういうのを趣味の延長というのか、いい表現がでないですけど・・・。あっ、ゴルフオタクかな。そういう意味では、僕のオタク度はまだまだだな。」
――今の自分に満足していますか?
近藤「本当のこと言うと、日本プロに勝てたことで満足しろと言われたら・・・僕は出来ちゃう。コンプレックスがあるとは言わないけど、この体の大きさで勝てたんですから。でもこれで、僕のゴルフは終わりじゃないんですよ。満足したら終わりですよ。自分の納得のいくゴルフを1ホール、1ラウンドでも積み重ねていきたい。」
――これからの目標は?
近藤「狙いにいって勝てた2勝目。次の目標は、今シーズン中にもう1勝すること。あとは、メジャーに出場したい。今年は全英OPの権利を得るチャンスだったけど手に入れることが出来なかった。メジャー出場は早ければ早いほどいい。もし時間がかかったとしても、目標にしている以上、必ずクリアする。そして、ただ参加するのではなく、しっかりと戦って自分のポジションを知る。そうなれば、きっと次の目標が見えてくるはずです。」
――不安になったりはしないですか?
近藤「不安になりますよ。自分より上の能力を持っている選手しか見てないですから。でも、その上の選手を見るということは、自分の目線もあがっている証拠じゃないかと鼓舞しています。そしていつも不安と向き合っていくつもりです。」
取材をしたブリヂストンオープンの練習日は、ギャラリーが観戦できる環境である。平日の練習ラウンドにも関わらず、近藤選手見たさに約20名のギャラリーがハーフラウンドを一緒について周った。ホール間で、ギャラリーの要望に、笑顔で写真撮影やサインに応じる近藤選手を見て感じたことがある。
よく"一枚皮がむけた"というが、彼は何枚皮がむけたのだろうかと。1人の人間として、ここまではっきりと相手に自分の思いを伝えることができる能力。目標を作り出すことができる能力。そしてその目標を達成するためには、何をやらないといけないかを考え、達成していく能力。そしてプロとして必要なファンに対する感謝の気持ち・・・。
これからも近藤選手のゴルフを見ていきたい。たとえ不安を感じても、自分の能力に蓋をしないで、それを向き合いながら己を高めて欲しい。
ティグランドで目標物を見据えながら、球のイメージを高めている澄んだ彼の表情。そして、スタンスを取り、自分の意思をクラブに伝え、鋭いスィングから解き放たれたボールが、意思のある弾道を描いて目標物に向かっていく瞬間。
近藤選手の目線はいつも、前へと向いている。
「UBS日本ゴルフツアー選手権 宍戸ヒルズのチャンピオンには5年間のシード権と、世界ゴルフ選手権ブリヂストン招待出場という特典がついている。
世界トップが集う舞台で挫折を味わうと同時に、さらなる飛躍を心に誓った髙橋選手の世界ゴルフ選手権4日間を振り返った」
~~ せっかくのチャンス早く渡米して準備がしたい ~~
「ひょっとしたら20位くらいには入れるかな。そのためにもアメリカの芝に慣れることだな・・・」
髙橋選手は、大会週の前週金曜日に渡米した。現地の土曜日に開催コースとなるファイヤーストーンCCに入り、日本の洋芝と違う独特の粘りのある洋芝のチェックを行った。
また、試合までに色々な選手と練習ラウンドを行って、会場の雰囲気に慣れたかった。しかし、他の選手は、既に一緒にラウンドするメンバーを決めていて、一人で練習ラウンドをこなした。試合前日のハーフラウンドだけ、J.フューリク選手と一緒にラウンドすることができた。
髙橋選手は言う。「彼と練習ラウンドできたのは幸運だった。彼もティショットをフェアウェイにおいて、アイアンでグリーンを狙う。パー5は、きちんとレイアップし、3オン1パットでバーディを取る。厳しいセッティングで戦う選手の中にも自分と同じゲームプランをする選手がいるんだ。」
~~ 大会初日、世界の舞台でティオフ ~~
「もう、最初から緊張しっぱなしでした。」誰しも初めての大きな舞台では緊張するもの。髙橋選手も例外ではなかった。しかも、初日の同伴競技者は、D.ラブ選手。彼がティグランドに登場するとギャラリーからは「デービス! デービス!」の大合唱。
髙橋選手は、今までに感じたことのない、ある種異様な雰囲気の中でのティショット。
「とりあえず、打っちゃえ。」と放ったドライバーでのティショットは、フェアウェイをキープ。ほっとしたのもつかの間、続いてラブ選手が、スプーン(3番ウッド)で髙橋選手のボールの30ヤードから40ヤードも前に超えていった。天候の影響もあって、フェアウェイは、段々と硬くなってボールが転がるようになっていた。
フェアウェイキープを意識しすぎること、更にラブ選手のポテンシャルと彼への声援。そして、「自分もいいショットをしなきゃ。」というプロとしての意識が働いて、本来の自分のスイングを見失っていった。「もう、頭の中は真っ白でした。」第1Rは81を叩いて最下位。
~~ もう帰りたい ~~
「まがりなりにも日本代表としての自負があった。だから恥ずかしかった。悔しかった。」と髙橋選手は言った。本当にきつい一日だった。プロゴルファーは調子が悪くてもある程度のスコアにまとめることも出来るのだが、それも心の余裕があってこそ。全く心のコントロールが出来なかった髙橋選手にはそういう余裕もなかった。
「この大会には予選落ちはないけど、2日目でカット(予選落ち)してほしいと思った。このままじゃ通算40オーバーだ。」と落ち込んだ。
~~ 大会2日目 がんばんなきゃ ~~
2日目の朝、早く帰りたいとか悪いことばかり考えていた髙橋選手の心が変化した。
「がんばんなきゃ。」
こう思えたことで髙橋選手は、新しい気持ちでティグランドに立つことができた。この時点で、昨日まで自分を見失って立て直せなかった心を彼はコントロールできていた。
この日は3オーバー。
髙橋選手は言った。「うれしかった。オーバーパーというスコアでうれしいという言葉はおかしいでしょうけど本当にうれしかった。」彼の喜びは単にスコア(数字)ということからではなく、このラウンドに対して、自分の心技体の準備と取り組みができたからかもしれない。
その裏づけとして、3日目には5オーバーという結果であったが、彼は言った。「前日よりは内容が良かった。」髙橋選手の心技体が順応していっている証拠でもある。
~~ 新たなる向上心 ~~
最終的には24オーバー 76位という成績に終わった。
髙橋選手は、「もうちょっとやれるんじゃないか。そのためにも自分のレベルを上げて、また挑戦して自分のレベルを確認したい。この場で戦うことを現実として捉えることができるようにしたい。」
髙橋選手は、普段は温厚でやさしい性格の持ち主で誰からも好かれるタイプである。しかし、時に見せるプロとしてのこだわり、プライドを持っている熱い男でもある。今回、そう誰もが経験できる訳ではない世界トップレベル選手と4日間を戦う舞台が彼に挫折感を与え、そして新たな希望を与え、そして次なる挑戦という宿題を与えた。そう遠くない時期に彼なりのスタイルで日本を代表する選手になる日も近い。
以下、髙橋選手との一問一答
Q1.世界の選手との差はどこにあった?
A. ショートゲーム。僕は100ヤードまでの距離感は持っている。トップの選手は、150ヤードまでの距離感が素晴らしいです。
Q2.自信になったことは?
A. 次にアメリカで戦うときは、自分の気持ちをコントロールして、コースに立ちたい。僕は球をまっすぐに打つ自信はある。世界トップランクの選手の球は、飛距離は出るが曲がる。僕はツアー選手権でもそうであったように、曲がらない球で勝負していこうと思います。
Q3.海外ツアーと日本ツアーの差は感じましたか?
A. 確かにメジャーレベルの試合になるとギャラリーが多くてやりがいがあります。ただ、日本ツアーにも良い点がいっぱいある。日本の選手もギャラリーも周りに配慮ができるし、選手のマナーも日本のほうがいいと思う。僕は、必ずしもレベルの髙い選手がいるツアーがいいとは思わない。今、話したこと以外にも日本のツアーの方がいいところがあった。僕は、今でも日本のツアーが一番好き。だからツアー選手権優勝者として、責任感をもって、日本を代表するトーナメントで勝っていきたいですね。そして日本ツアーで戦いつつ、世界でも勝負できるような選手になっていければいいですね。
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